バスウェイの歴史
バスウェイの歴史
バスウェイの前身は、都内バス会社「SB社」事務員だった現社長と、同じく都内バス会社「KT社」運転士勤務だった現部長とが1996年7月に共同購入した自家用動態保存交流バス「BLUE LINER 32」を所有・運行するために組織された、運輸事業に携わる人たちバス趣味交流団体「東京バスリサーチ」です。
二人の「バスウェイ」・・・”バス道”人生は、ここから始まりました。
この2名は、今は無き「バスメディア」という、バスマニア向け雑誌の「日産ディーゼルU(A)32前期型」の掲載記事を通じて知り合いました。
最初のうちは茨城・宮城などで活躍するU32前期型を乗車、撮影すべく全国を放浪、「東京バスリサーチ」立ち上げ後は、二人で購入した「日産ディーゼルP-U32L」バスを車庫から持ち出し、車庫に程近い工業団地内などで、電柱をバス停に見立てた「リアル路線バスごっこ」や、運転会と称して近隣他社へ乗り付け記念撮影をしたり、と、朝から晩まで仕事と趣味の区別なく「バス」と戯れ楽しんでおりました。
※弊社バスの、その後の情報などありましたらぜひメールでお寄せください。
下さった情報の衝撃度・感嘆度により、aかbの薄謝を進呈します。
年表
| 年月日 | 出来事 |
|---|---|
| 2001年 9月 5日 | 有限会社バスウェイ設立(埼玉県東松山市松山) |
| 2002年 4月 1日 | 大型4台・小型1台で営業開始 事業区域:埼玉県全域 |
| 2005年 2月 7日 | 有限会社から株式会社へ組織改正 |
| 2005年 6月 3日 | 本社営業所を東京都清瀬市下宿、車庫を埼玉県所沢市南永井に移転 事業区域を東京都全域(島しょを除く)とし、埼玉県から撤退 |
| 2006年 4月26日 | 事業区域に埼玉県新座市と埼玉県所沢市を追加 |
| 2006年 8月 7日 | 車庫を埼玉県新座市大和田3丁目に移転 |
| 2006年11月26日 | 第二種旅行業免許取得(東京都知事登録旅行業 第2-5831号) |
| 2016年9月29日 | 貸切バス事業者安全性評価 ★(一つ星)認定(日本バス協会) |
| 2018年3月28日 | 公益財団法人日本バス協会、一般社団法人東京バス協会 加盟 |
| 2018年12月18日 | 貸切バス事業者安全性評価 ★★(二つ星)認定(日本バス協会) |
| 2020年12月25日 | 貸切バス事業者安全性評価 ★★★(三つ星)認定(日本バス協会) |
BLUE LINER 32
昭和60(1985)年7月製造、西武バス㈱所沢営業所に新製配属、車番A292。平成2(1990)年1月、西武高原バス㈱三原営業所に移籍、軽井沢周辺の路線バスとなる。平成4(1992)年、ライオンズカラーとなる。平成8(1996)年7月、老朽化により抹消。同時に抹消された同型車「A285」号車と軽井沢市内で試乗比較し、多少状態の良かった「A292」号車を我々「東京バスリサーチ」が10数万円購入。同年月、群馬県東町にある㈱DNK様にて、ブルーライナーカラーに塗り替え。
平成8(1996)年8月、自家用バス「熊谷22や1316」として登録、東松山市内に置く。
平成9(1997)年9月、車検を通し忘れ一度抹消。
平成9(1997)年10月、「熊谷22や1400」再登録完了。
有限会社バスウェイ設立
規制緩和に乗じて、いよいよ始動!
二人とも会社在籍中の平成13(2001)年9月、「有限会社バスウェイ」を設立し、本業に支障のないようにしながら無報酬オーナーとして貸切バス事業に参入しました。平成14(2002)年2月14日、記念すべき登録第一号車である「BLUE LINER 32」が、ついに「緑」ナンバーとなりました。登録前には全座席シートベルトを装備。

平成15(2003)年9月26日抹消
抹消後は、解体業者への陸送途中に高速道路でエンコ。レッカーで千葉まで引っ張られ解体されたそうです。
元都営観光車両
東京都交通局で貸切車→特定車として使われていた車両で、バスウェイ創設の約1年前に「自家用車」として所有。前向き55人乗り。
フラッグシップ
創立当時、懇意にしていた音楽事務所のアーティスト輸送にと購入した、3列独立シートのスーパーハイデッカー。少定員が災いし、余り稼働しないまま抹消しました。ナンバーは、富士急時代の「41-25」を「熊谷」で継承しました。

平成14(2002)年12月26日抹消。以降、群馬の中古車業者様を経て長野・蓼科のペンション送迎の自家用→埼玉の貸切バス会社様と流れたようです。
一般道専用車
高速道路を走れない車両で、一般道のみの運行でした。元は西武バス㈱の路線バス車両で、西武バス㈱の車番は「A292」でした。
平成15(2003)年9月26日抹消
オークションにて売却、茨城県の中古車業者様に引き取られていきました。
現在過去とも唯一の非大型車
送迎タイプながらテレビ・ビデオ・冷蔵庫が装備されていました。リーフサスで乗り心地は良くないものの稼働は堅調。東京移転後もしばらく多摩ナンバーで頑張っていました。

後部回転サロン3列も回る10列仕様
後部回転サロンが3列も回る10列仕様で、ゴルフコンペなどに人気でした。希望ナンバーで品川時代の番号を継承するなど、当時のこだわりが詰まった1台です。

12列シート貸切車
多定員需要に応える12列シート車。稼働率は高く、後年の改造で純粋な12列仕様になりました。

エアロクイーンM-1
高速ツアーなどで活躍した初期のエアロクイーンM。堂々たるスタイルと安定した走りで人気を博しました。
その後は中古車市場へ。現在の所在は不明です。
エアロクイーンM-2 看板車両として大活躍
改良型となるM-2。快適性・静粛性の両立を図り、長距離輸送に適した仕様でした。
一部は予備車として運用後、段階的に離脱しました。
直結エアコンバス
立川~成田空港線で使われていた直結エアコンのバス。後部トイレ付の補助席無し43人乗を、トイレ撤去と座席増設で一般貸切車として活用しました。

爆音ハイパワー車
その名の通り迫力のサウンドと余裕のパワーで人気を博した車両。イベント輸送などで活躍しました。
のちに別事業者様へ譲渡され、現在は退役していると伝えられています。
初めて買った自社発注新車
埼玉から東京へ進出した2005年、大市場TOKYOで生き抜いてゆくには車両のレベル向上が避けられないと判断し、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、初めて新車発注をした車両でした。
11列セミサロン仕様53人乗りでしたが、同仕様の新車(三菱1015号車)導入に伴い、平成22年秋に12列58人乗りに改造され、学生輸送に活躍しましたが、平成24年夏、新車(三菱1216号車)の代替として、資産価値の高いうちに売却をさせていただきました。
その後の情報によると、富山の中古バス販売店を経て九州熊本の貸切バス会社様で活躍しているそうです。
